2005/11/27

これは過渡期なのか

「鉄骨足りない」現場監督が工事中に疑念
[2005-11-27 17:31]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051126-00000115-yom-soci

結局、プロはいないということか。

西岡棟梁 法隆寺と比較して

杉本良夫氏の日本人論と重ねて。

義民とは

2005/11/23

日本人

とある掲示板で、赤ん坊を助けようというキャンペーンの案内を見た。
うまれながらに重病で、内蔵移植のため、かなりの金額を必要としているらしい。

この書き込みを見て、思い出したのは以前、晩飯時に見たテレビ番組「テレビの力」だ。心臓移植を必要としている高校生の女の子が病床から助けて欲しいと募金を呼びかけていた。そして、一気に募金の目標額を超えてしまったらしい。

テレビを見ながら、これが高校生の女の子でなく、太った中年のおばちゃんだったり、頭のはげかかったおっちゃんだったら、募金は集まらなかったかもしれないなと思ったことを思い出した。

日本で臓器移植を制限しているのはそれなりの理由がある。
美談には見えるが、いや、確かに美談なのだろうが、臓器を買いに行く、という視点に立つと見えないものが見えてくる。

1.日本で買えない臓器を外国に買いに行くということの意味
2.中間のない日本人の感性の針

とりあえずはメモ書きとして残しておく。

2005/11/20

なになにとかけまして

頓知だとか、なになにとかけまして、なんと説く、その心は、と云った言葉を耳にしたことがないという人はまず居まい。

日本人の感覚にはなじみやすい。
全体を見渡して類似点を抜き出し、共通化する。

ただし、これは視覚に頼りすぎることと、観念に偏りやすい弊害が大きい。

ものの本質は非常に微細なものだ。似ていても、全く異なる本質を持つもの、幾多も存在する。決して、四捨五入してはならないもの、それだけで変質してしまうものがあるのだ。

すべからず繊細に。

2005/11/19

信号を守る

車を運転しているとき、自転車を乗っているとき、歩いているとき、ほぼ100%、私は信号を守っている。
歩いているとき、信号を守るのはけっこうきつい。
横断歩道、どんどん、信号守っている私の横を通り過ぎていく。
どう思われているんだろうと考える。要領が悪いとか、変な人とか思われているんだろう。

さて、私が意固地のように信号を守るのには理由がある。
世間には本音と建て前がある、必ずしも言葉通りの意味とは限らない世界がある。

学校や公の場でば交通規則は守りましょうと言う、そのくせ、大人は信号無視をする。これを子供が見ればどう考えるか、本当は信号守らなくてもいいんだな、でも、建前では守らなければならないんだ、というように考えることは難くない。
世間には本音と建て前がある、しかし、使い分けて済むものもあれば、済まないものもある。これは大人でも難しい、なんでも二つの常識を持ち込むべきでない。
そして、子供はある程度の年齢までは、こういった二つの常識がある世界を知るべきではないと考える。
そのためには、せめて信号くらいは守るべきだと考えるのだ。

2005/11/17

約束は

約束は守らなければならない。
そんなふうに思う人だから、あたうかぎり約束は避けたいと思う。
だから、約束するというのはよほどのことだ。
よほどのことだから、余計に約束は守らなければと考えるのだ。

2005/11/16

分ける

「分ける」ということが美徳という時代があった。少なくとも、私の見えてくる範囲内では過去の言葉。
食べるもの一つでも、お客様がいらっしゃったら、半分に分けて、そんな時代があった。

これについて、二つ考えるのは

一つ、こういう子供時代を過ごした後、分けること、これを共生にまで発展させた人と、単に辛かったの一言で終わってしまう人の、どこで違ってしまったのだろうと云うこと。
二つ、分けてもらったお客様からの視点。これが、語られる言葉に全く欠落している。これは、展開していくと、加害者と被害者という関係と類似した関係になると考える。

2005/11/15

インターネットでの文章は

インターネットでの文章は、出きるだけ平易を期待されている。ほんの少し表現が硬いと、
余程の興味がないかぎり、拒絶されてしまう。わからないの一言で。
では、わかりやすい文章とは何かというと、情景が目に浮かびやすい、想像しやすい文章だ。

さて、私は難しい文章を、思案しながら読むのが好きだし、自分に能力があるのなら、難解な文章を書く方が、楽しい。

慌てふためく方がいい

地震にしろ、テロにしろ、がんに罹ったにしろ、こういうときは落ち着かずに、慌てふためく方がいい。
まずは落ち着いてなどと考えたりするのは、単に思考の停止、問題の先送りでしかない。慌てふためき、行動しながら考えて、やっとのこと、おおむね、良さそうな結果を得られるのではないか。

2005/11/13

言葉にしろ

言葉にしろ、文章にしろ、それを発し、特定の相手、もしくは不特定の相手に達した瞬間、それは伝達されたということになります。
これは、なんらかを伝えるための言葉であり、文章です。
さて、言葉や文章にはもう一つ、伝えるためではない言葉があります。
それは自身の思考を深めていくための道具としての言葉であり、文章です。

こういった言葉なり、文章はインターネットの世界ではあまりなじまないかもしれません。
ただ、このブログでは、そのなじまない言葉の連なりを書いていくつもりです。
多々ある、自閉症気味の私小説的な文章を書く能力は私にはございません、面白いことを書く能力もありません。

冒頭にも書きましたが、たまたま、このブログを見つけになった方は、素通りされる方が、貴方様のお時間を無駄にせずに済むかと存じます。